清水焼団地探訪
文=藤田あかり(フリーライター)
名を継ぐことの重みを胸に
交趾焼四代 赤沢露石
昭和16年生まれ
昭和44年 日本伝統工芸展出品
昭和59年 日本橋三越本店にて個展 以降、三越を中心に全国で個展活動
昭和63年 四代露石を襲名
平成 6年 福井県立美術館にて二人展
現在 日本工芸会正会員、京都伝統陶芸家協会会員
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 初代より交趾の技術を継承してきた赤沢家。生まれた環境から自然の流れでこの世界に入ったという四代目赤沢露石さんは、その名を継ぐまでに長い道のりがあった。「先代の祖母はまずは修行のためと、私を独立させました。先代にとって名を譲るというのは命を取られるようなもの。代替わりして家がとたんに傾くこともよくありますから、継がせるべきか、葛藤があったんだと思います」。

 赤沢さんは、本名の「正中」を名乗り、露石の型にはまらない、正中としての交趾を見出そうと考えた。伝統工芸展への出品や個展などで独立の道を切り拓き、線文様をモチーフにした鮮やかな作品を次々に生み出した。正中でこのままやっていく覚悟もあったという。そんな折、祖母が工房を訪ねて来て、襲名の話を持ちだした。

 「今度はこちらが戸惑いましたね。でもちょうど、昭和から平成へと時代が移る時だった。元号が変わり、こちらも新しくスタートしようと。今考えればよいタイミングであったと思います」。

 以降、赤沢さんは露石として再出発をする。日本橋三越などで定期的に個展を開き、茶道界を中心に露石の名を保ち続けている。

 露石の名を継いでから、赤沢さんが心に決めていることは、「先代に迷惑をかけることはしない」ということ。

 「昔からの顔料や土が、私の家はすべて秘伝みたいなもの。それを守るには大変な手間もかかります。数もそう作れません。でも、儲けを先に考えて、人を雇って大量に作ってしまえば、必ず質が落ちる。そうなれば、先代に申し訳がたちません。大事に守ってきたものは、こちらもしっかり受け継ぎたい」。

 作品に露石の色が保たれているか。品がなくなってはいないか。赤沢さんは、一つ一つの作品に厳しい目を向ける。高度成長やバブル景気に沸いた頃も、その目は曇ることなかった。そのために時代の恩恵を享受することはなかったが、露石の評判を落とすこともなかった。

 「納得のいくまで作りたい。ものづくりの人間ですし、もともとそういう性格ですから、それでよしなんです」。

 そう話す傍らに、息子の嘉則さんがいる。嘉則さんは若手作家として日本画と陶芸双方で活動し、日本のみならず海外での展覧会で評価を受けている。

 「日本ではお茶離れが進んでいると言いますが、海外では非常に関心が高いんです。海外とつながっていくことで、活動を広げていきたい」と嘉則さん。父から息子へ。露石の精神が受け継がれていることが、その力強い言葉に現れているようだった。

 交趾は鮮やかな色彩が最大の特長で、それゆえに色合いを考えるのが難しい焼き物です。一色だけでも派手な印象を持ちますので、取り合わせを間違えると、けばけばしく品がないものになってしまいます。品があるか、ないか。どんな作品においてもその点に気をつけながら、露石の名を守っています。


交趾線文様花瓶 (1973)


黄交趾釣瓶水指 (1981)


黄交趾線文皆具 (2008)


交趾おしどり香合 (2007) 紫交趾つぼつぼ蓋置 (2007) 萌黄交趾ふくら雀香合 (2007)


浅黄交趾七宝文水指(2007)


紫交趾七宝文細水指(2008)


交趾龍香炉 (2008)


紫交趾竜田川茶碗 (2006)


赤沢嘉則作 交趾彩細水指 (2007)


赤沢嘉則作 AQUA AMORE (2010)


息子の嘉則さんと