清水焼団地探訪
文=藤田あかり(フリーライター)
次なる材料を模索しながら
“何でも揃う”材料屋さんに
株式会社井上顔料  代表取締役 井上 雅雄
(社歴)
明治28年 祖父 己之助創業。
藍・緑青の製造販売を始める。
(大和大路正面上る上棟染町)
昭和9年 井上己之助商店として
七条通本町東入西之門町552番地に移転
昭和28年 父市太郎  井上顔料株式会社に組織替
昭和39年 父市太郎死去により代表取締役に就任
昭和45年 山科清水焼団地に移転
昭和46年 株式会社井上顔料に商号を変更

営業品目:顔料・陶器原料・釉薬・石膏・接着剤・ポリエステル樹脂、各種道具他

TEL.075-592-0225
FAX.075-592-2349
i-ganryo@iris.eonet.ne.jp
http://www.eonet.ne.jp/~i-ganryo

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 藍、黄、赤、緑・・・井上顔料の店内には、色とりどりの顔料や小道具が整然と並ぶ。注文を聞くと、三代目の雅雄さんはどんなものであれ、ほんの数十秒で探し出す。今では懐かしい“文房具やのおじさん”を思い起こさせる。

 雅雄さんは、戦争の混乱の中、お店が開店休業状態だった時に小学生でした。戦後すぐに再開するも、顔料メーカーの工場が復活するのを待たねばならず、しばらくは店の在庫を売るに留まる。人出もなく、父の市太郎さんが一人お店を切り盛りしていた。当時、高校1年生になっていた雅雄さんは、店を手伝うために中退を決意する。定時制高校に入学し、日中は仕事、夜は学校という二重生活に切り替えたのだ。

 「仕方ないなあという思いがありましたね。親父もかなり苦しいときでしたから、助けなければならない。でも、しんどいと思うことはなかったですね。」

 大学に入学しても、そんな生活を続けていた。毎月3日連続で、名古屋方面に出張に行き、注文を聞きに回った。名古屋の駅前で自転車を借り、3日間で30軒を回った日々も今となっては懐かしい思い出だ。

 父親からお店を引き継いだのは、29歳の頃。徐々に、戦後の復興が形になり、お店も起動に乗りかけていた頃だ。殆どの仕事をこなせていた雅雄さんには、会社の柱になることに戸惑いもなかったという。

 「小さい頃から仕事を見てきましたからね。父親は、聞けば話はしてくれるけど、見て覚えろという感じでした。」

 顔料、陶芸、人形、彫刻用材料、筆、刷毛など、井上顔料にはあらゆる材料が揃う。扇子、人形など京都の伝統産業だけでなく、初心者から作家まで、全国に需要があるのは、“品揃えのよさ”に加え、“きめ細かな対応”が際立っているからだろう。

 「“こういうものが欲しい”とお客さんが相談に来られる場合も多いですね。希望どおりの品を用意しますが、まずサンプルをお客さんに渡して確認してもらいます。」

 ファッション業界と違って色の流行こそ無いそうだが、時代の流れと共に、求められる材料は変わる。例えば、彫刻関係。FRP用ポリエステル樹脂が、高度経済成長期から売れるようになったという。期を逃さず、いち早く材料を仕入れることも大切だ。

 「なかなか探すのは難しい。ただ、次何がくるかを常に意識することでしょう。模索し続けることが大事ですね。」

 かつて、海外輸出向けの陶器が売れた時代がありました。京都にも貿易会社がたくさんあったのですが、円高の影響でぱったりなくなりました。今は、海外から安い品物が大量に輸入されています。日本で作れば焼成代にしかならないような値段で、売られています。その影響で、あらゆる伝統産業が大打撃を受け、縮小せざるを得ない状況です。材料屋としての立場も、その煽りを受けざるを得ません。

 そんな時代だからこそ、次なる材料をいかに見つけるかは、賭けでもあります。主流になる前に取り扱うかどうか、注文が入るかはわからないのですから。しかし、そういう目を持つことに意味があると思っています。この仕事は、一生勉強、ということですね。